スリランカの女性たち

イギリス領から離れ「セイロン」という国名から「スリランカ」(光輝く島)と

いう名に変え独立をした「スリランカ民主社会主義共和国」。

しかし、そこから平和への道には至りませんでした。

30年にも及ぶ、民族間での内戦が始まったのです。

その戦争で夫を失った若い女性。

子供を持っていたなら、一人で育てなければなりません。


スリランカの女性は手先が器用で、裁縫などが得意です。

夫を失った女性たちは裁縫で生計を立てています。


どんなに悲しく不安でしょう。

しかし、スリランカの女性たちはそれぞれ助け合い裁縫の仕事をしています。

日本人に似て穏やかなスリランカの女性たちは

地道に明るく逞しく生きています。

スリランカの女性たちの活動「Gnadda ナダァー (歩く)」を紹介します。

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family

活動報告・事業報告私たちの仲間である、トリンコマリーの刺繍の工房のスタッフを紹介します。刺繍の技能を習得しながら商品に取り組んでいます。戦災や災害の被害を受けた被害者です。ラジニさん(32歳)彼女は裁縫が大好きで思いやりがある女性です。彼女の長所は 裁縫の習得と技能のスキルアップのための努力を惜しまない事です。物静かで、仕事に対しては真剣に取り組んでいます。グループの中では一番長くここで働いています。彼女がトリンコマリーの裁縫センターに5年前に入った時は職が無く、亡くなったお父さんの年金に頼っていました。戦争中は母親、姉妹、兄弟たちと共にスリランカの各地を逃げ回っていました。彼らはすべてを失い着の身着のまま戦場から逃げました。現在、彼女はトリンコマリーの主任である、先生という仕事に感謝しています。彼女は家族の稼ぎ手なのです。”同僚たちと自分たちの お店を持つ”、”早く結婚し家族をもつこと”は彼女の夢です。 ジョチさん(29歳)2人の息子を持つ戦争未亡人です。彼女は繊細な刺繍の技術を誇りに思い、そして、美しいものを作り続けたいとも願っています。お金があれば、ファッションや旅行のために使いたいと思っています。裁縫センターで週5日働いています。時々は仕事から早く帰れるので、子供たちと一緒に過ごす事ができるのも、彼女がこの仕事が好きな理由です。子供たちはお母さんが仕事に行っている間外で遊んでいます。将来、町の中に自分の店を持つことを望んでいます。 シャンティニさん裁縫センターのマネージャーです。彼女は結婚後も女性が収入を得ること、技術を持つことの必要性、また男女平等を、何年も情熱的に働いている女性たちに伝えています。センターで働いている若い女性たちにお金の貯め方、将来の計画の立て方についても教えています。彼女の二人の息子は海外で暮らしています。他の先生たちの協力を得て年に2ヶ月間、海外の息子たちといっしょに過ごしています。彼女はこのようにセンターは融通が利くことも気にいっており、センターをもっと発展させ、安全で、楽しく、働きがいのある場所とするため、そして戦争の被害を受けた女性たちのため働き続けています。 アチヤさん(33歳)町でいろんな仕事をした後、センターへ2年前に入りました。息子が一人います。息子と両親と一緒に暮らし、面倒を見ています。裁縫センターでは縫い子と経理も担

gnadaa.org

「青蓮」のようなスリランカ(Sri Lanka lifestyle)

青色の蓮の花は、スリランカの国花 天を仰ぐ「青い蓮(ハス)」は、スリランカを象徴しています。 スリランカは日本と同じ「仏教国」であり、様々な困難を乗り越えて来た国です Sri Lanka (スリランカ)とは、インド洋に浮かぶ光輝く島。 多様性に満ちた、スリランカ情報をお伝えします