母
母は現在、養護ホームに入所しています。
本当ならば、娘の私が同じ家で暮らし、
母親の面倒を看れば一番良いのです。
母の気質や好みを知っているし、
母と娘の関係は、お互いに気を遣いながらも、
それでも、一番上手くいく人間関係だと私は思います。
母は今のホームに入所したばかりで、
毎日、ほぼベットで寝ている状態なのかもしれません。
(施設の方は手厚くなさって下さり、
なるべく母の体を動かすようにしていただいています)
先日、私が面会に行った時も
表情はなく、うつろな目をしていました。
「私にはいつお迎えが来てくれるのだろう」
「お父さん。早く迎えに来て(父は51歳で亡くなっているので)」
と、ぼそぼそと言っていました。
しかし、こればかりは私にはどうする事もできません。
昔から「母の事は大好き!」という方もいますけれど、
私の場合は弟がいて、母は弟のことばかり可愛がり、
私は同居している姑(私のおばあちゃん)へのストレスの発散係でした。
毎日のように、母は私を見ると「私はおばあちゃん(姑)の事は大嫌いだ」と
私にだけ言いました。
配偶者である私の父に愚痴をいえばいいのに。
幼少期は、そのような毎日でしたので、
学校から家に帰るのは嫌でした。
私は反発をせず、母に気を遣ってばかりの、大人しい性格でした。
父に訴えるということも、できなかったのです。
ただただ、毎日耐えていました。
しかし、父が51歳の若さで亡くなり、弟が私より早くに結婚し、
長男という事では母と同居を始めることとなりました。
すると、母は私にすり寄ってくるようになりました。
母には、他に誰も頼る人が無くなってしまったのですから。
そのような、母と娘の関係でした。
しかし、幼少期の頃から、
朝ごはんは、必ず、牛乳・チーズ・納豆・ごはん・味噌汁は定番でした。
おまけに、夜寝る前に肝油(かんゆ)のゼリーとカルシウムも飲まされていました。
また、私は小学校の低学年から視力が悪く、「八目うなぎのサプリ」のようなものまで
飲まされていました。目にいいと誰かから聞いたのでしょう。
うちの家計のレベルではかなりのお値段のものだと思います。
(その視力が落ちた原因も自分ではわかっているのです。
当時の私は漫画が大好きで女性向け男性向けなど問わず、
漫画なら目に入るものはすべて読み、
夜布団の中に蛍光灯を入れてまで隠れて漫画を読んでいました(笑)。
視力が落ちるのは当然ですが、親には秘密でした)
おかげで現在は、私の歯は丈夫であり、骨折の経験もありません。
DNAの影響もあるでしょうが。
とにかく、今の私があるのは、両親のおかげです。
決して裕福な家庭などではなく、
親は学歴も言わず、家も壊れそうな家でした。
今の母は生きる楽しさと希望を失ってしまっている。
それは、晩年になれば仕方のないことだと思います。
(特に都会では)
けれど、私は母の心の糧(かて)とならなければいけない。
先日面会に行った時には、うつろにベッドに横たわっていて、
「何にも食べたくない」と言っていました。
それが、色々話しかけているうちに、
自分から起き上がり母に買っていった和菓子を食べるようになりました。
それから、気分転換のために、下のロビーへ車いすで連れて行き、
テーブルで母と夫と私で自動販売機のお茶を飲みました。
もう少し、気分を変えさせたいと思ったので、
玄関の自動ドアから入り口の外まで連れていきました。
外は台風前の抜けた青い空に
夏の入道雲と、秋のうっすらと風にただようような雲と、
台風が来るよと告げるような薄いグレーの雲が混然としていて、
高い青空のとても興味深い雲の様子でした。
木々は台風が近づくのを知らせるかのようにそよぎ、
また、その風が涼しいのです。
東京から多少でも離れると、
自然はこんなにも美しく見えるものなのでしょうか。
母には、「今度はどこかで、お茶を飲もうね」と告げました。
私は、これからも、母をどんどんと外へ連れ出し、
なんとか、生きる楽しみを与えていきます。
これも、何かのご縁で産んで育ててくれた方への使命であると私には思えるのです。
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